摂関政治をわかりやすく解説!【創始者の藤原良房と嘆きの文徳天皇】1/4

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【藤原氏の初代摂政、藤原良房】
※良房自身が「摂政」と呼ばれていたかどうかはわかっていませんが、役割的には摂政と同じことをしていたのでこの記事では摂政と呼ぶことにします。

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藤原道長=摂関政治の考えは厳密には間違っている!

摂関政治。多くの人がその言葉を知っていると思います。そして、多くの人が摂関政治=藤原道長になっていると思います。

しかし、藤原道長=摂関政治という考えは、厳密は間違っています

摂関政治を造り上げたのは、あくまで藤原道長が政治界に君臨するまでに活躍した多くの藤原家の人々です。

さらに、ほとんどの人が知らない事実ですが、実は藤原道長は摂政・関白と言う地位にはわずか一年ほどしか就いていません。

藤原道長は、内覧という役職で、摂政・関白を超えた存在だった

藤原道長がなぜ、教科書に載るほど有名かと言うと、西暦1000年前後の日本の実質的な最高権力者として君臨したからです。

ここで重要なのは「藤原道長は、摂政・関白として莫大な権力を持ったから有名」という意味ではないこと!

藤原道長は、「内覧(ないらん)」という天皇の前に必ず書類を閲覧し、天皇にその書類を見せるかどうか判断するポジションに就いていました。

内覧である藤原道長の許可がないと、天皇に直訴や提案すらできないわけです。みんな、天皇にお願いごとや提案を見てもらうため、藤原道長に、賄賂などの様々な取り計らいをすることになります。こうして、藤原道長は実質的な最高権力者として君臨するのです。

藤原道長にとって重要なのは、摂政でも関白でもなく内覧という役職だったわけです。

何が言いたいかというと、「藤原道長の政治は、摂関政治を超えた政治であってもはや摂関政治ではない!」ということ。

藤原道長=摂関政治を否定したとして、ところで摂関政治ってそもそも何なんでしょう?

というのを数記事に渡ってみていくことにします。この記事の内容は、摂関政治の成立を知るための前置き的な内容となりそうです。

時代は、藤原道長が活躍した1000年頃から100~150年さかのぼった850~900年頃になります。

行き詰まる天皇制 -苦悩の文徳天皇-

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850年、仁明天皇が逝去し、新たに文徳天皇が即位します。

文徳天皇は、承和の変で勝者となった藤原良房に担がれて即位しました。

詳しい経緯が気になる方は、

承和の変(じょうわのへん)とは?超わかりやすく【淳和天皇と嵯峨上皇】1/2

承和の変(じょうわのへん)とは?超わかりやすく解説【恒貞親王と藤原良房】2/2

の記事をどうぞ!

藤原良房は、文徳天皇の叔父(外戚)として権力を掌握しようと考えていました。一方の文徳天皇は、良房に天皇にしてくれた恩を感じつつも、自ら主導権を握り天皇親政を行いたいと思っていました。

天皇親政を実現するにあたっては、良房のような天皇以外に強大な権力を持つ者は邪魔な存在となってしまうため、良房と文徳天皇の関係は、険悪ながら表面上は良好であるというようななんとも微妙な関係でした。

短命を悟り、憂う文徳天皇 -皇太子がみんな幼すぎ!!-

文徳天皇は生まれつき病弱であり、本人も自分の命が長くないことを悟っていました。

文徳は天皇即位後、すぐに次期天皇候補(皇太子)の選定を迫られます。この時、文徳天皇は25歳ぐらい。

皇太子になりうる者は、文徳天皇の子どもで2人いました。

惟仁親王(これひとしんのう。後の清和天皇)惟喬親王(これたかしんのう)です。

年齢は、惟仁親王は生後数か月、惟喬親王は6歳です。

ここで重大な問題が突き付けられます。どっちを皇太子にしても、政務能力がある皇太子がいない!!という点。

これは、天皇制を維持していくにあたって重要な問題です。統治能力を持たない君主は、君主の座を引きずり降ろされ、別の者に君主の座を奪われてしまう可能性があるからです。この問題は、天皇制を破壊しかねない深刻な問題だったわけです。

文徳天皇は、苦肉の策として、6歳の惟喬親王を皇太子にしようと考えましたが、藤原良房は自分の孫になる生まれたばかりの惟仁親王を皇太子にすることを強く推します。

こうして、ますます問題は複雑化していきます。

文徳天皇、藤原良房に屈する -清和天皇即位-

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【文徳天皇】

文徳天皇は、政治に対する熱い熱意を持っていましたが、病弱だったためどうしても政務を良房に任せざるを得ません。そして、自分を補佐している良房は、自ら推薦している惟喬親王の皇太子指名に大反対している。

このような複雑な状況に加え、仮に良房の意見を無視して惟喬親王を皇太子にしたところで、承和の変のときのように良房に惟喬親王が消されてしまう可能性があります。

文徳天皇は、色々熟慮の末、義房の推す惟仁親王を皇太子にすることに決めました。遂に乳飲み子の皇太子が誕生してしまったのです。

文徳は858年に逝去し、その後、9歳になった清和天皇が登場します。政務能力を持たない天皇が遂に登場してしまったのです。

清和天皇は、天皇自身はあまり何もしてないのですが、

・その政務能力のなさが、政務を代わりに行う摂政を造り上げた。

・清和天皇の子孫が源平合戦で有名な源頼朝である。(清和源氏っていうでしょ?)

という2点から、何気に有名な天皇だったりします。

幼少の清和天皇の下で、藤原良房は摂政としての地位を造り上げます。

平安時代を舞台にしたマンガが面白い!【おまけ】

この記事で紹介した藤原良房が活躍した時代を舞台にした漫画を見つけました。この頃まだ青年だった菅原道真(学問の神様で有名なやつね!)が、権謀術数に溢れる朝廷内で様々な謎を解決してゆくミステリー漫画です。この時代を舞台にした漫画はとても珍しいし、読んでいてとても面白かったです。ぜひ参考までに。

今回は特に平安時代に興味がある方にオススメしたい「応天の門」という漫画を紹介します。この漫画、最近その存在を知ったのですが、「漫画」...

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