三十三間堂(蓮華王院)の見所と歴史をわかりやすく1/2

sanjusan

三十三間堂は、京都に来たら絶対外せない観光スポットの1つです!

本堂の1001体もの千手観音菩薩はまさに圧巻!その迫力は、おそらく日本全国でもここでしか味わえないものです!

三十三間堂は、正式名称は蓮華王院と言います。1164年に建てられました。「三十三間堂」は建物の内陣に33本の柱を立てた独特の建築様式からついたあだ名なんです。

ここでは、三十三間堂と千体もの千手観音が作られた歴史について説明をしていきます。ここまで歴史について細かく解説しているはあまりない・・・はず。

平清盛と後白河上皇の覇権争い

三十三間堂は、平氏で有名な平清盛が後白河上皇のために建立した寺院です。

しかし、その裏には平家一門の繁栄を目指す平清盛と絶対的な君主として君臨したい後白河上皇との激しい政治闘争がありました。

なので、平清盛が「寺院建立の命を受けたので、後白河上皇に忠誠を尽くし、すばらしい寺院を建立してあげよう!」と単純に思っていたわけではありません。三十三間堂の建立も政治的駆け引きの1つでしかなかったのです。

ちょうど1164年頃のこの時期は、源頼朝が鎌倉幕府を開くまでの過渡期であり、政治情勢は目まぐるしく移り変わり、複雑な様相を呈していました。

そこには、おおむね4つの勢力がありました。

・上皇サイド
・天皇サイド
・摂関政治の頃から繁栄を極めていた貴族たち(主に藤原家)
・紛争解決のため武力を背景として力をつけた武家一門(大きく平氏と源氏)

この4大勢力が複雑に絡み合いながら、歴史が動いていくのです。

その様子を簡単にですが、見ていきます。

天皇vs上皇:保元の乱(1156年)

1156年、三十三間堂建立の8年前に起こったのが保元の乱。

保元の乱は、崇徳上皇と後白河天皇の権力争いです。当時後白河はまだ天皇でした(元天皇が上皇となります)。保元の乱は、日本史上初めて天皇家の権力争いに武士が導入された画期的な乱でした。

この時、平清盛は後白河天皇を支援しました。平氏は崇徳上皇との結びつきが強かったものの、平家一門の繁栄のため、勝者となりそうな後白河天皇に味方しました。崇徳上皇から見れば裏切られたわけです。

というわけで、保元の乱の時は、平清盛は後白河の味方であり、後白河サイドが勝利します。

天皇vs上皇vs上皇近臣:平治の乱(1160年)

1160年、三十三間堂建立の4年前に起こった平治の乱。

この時、保元の乱の勝者だった後白河は上皇となっていました。そして再び天皇と上皇との権力争いが勃発します。このときの天皇は二条天皇といいます。

このように争いが多いのは、摂関政治による天皇権力の低下や院政による上皇の台頭により権力の所在が不明瞭となってしまったからです。

この時、上皇側の近臣だった信西(しんぜい)という人物がいます。聡明で民衆に優しい政治を目指していたため、民衆からとても親しまれていた人物でした。

また、信西の政治スタイルには平清盛の援助がありました。信西は平清盛から兵力を、平清盛は信西を通じて高い位を得ていたのです。持ちつ持たれつの関係ですね。

その信西は、天皇vs上皇という構図の中でこう思いました。「自分の政治信念を貫くには、天皇側に譲歩したほうが得策だろう」と。詳しい説明は省略しますが、二条天皇のバックには、強い勢力が付いていたのです。

後白河上皇から見れば、信西に裏切られた形になります。後白河は怒りました。そして、源氏の源義朝という人物に信西を亡き者にするよう命じます。源義朝は源頼朝の父にあたります。

信西を奪われた平清盛は激怒し、後白河上皇派の勢力は一掃されます。このときは、保元の乱と真逆で後白河と平清盛は対立する関係だったのです。

・・・当時の歴史はとても複雑です。

子の誕生

後白河上皇は、平慈子の聡明さに惚れ、慈子を寵愛するようになり、1161年、なんと慈子と間に子を授かります。後に高倉天皇と言う天皇になります。

平治の乱から1年しか経っていません。

平慈子は清盛の妻の兄弟、なのでいとこになります。清盛から見れば、遂に身内から天皇候補になりうる子が誕生したのです。

平治の乱では敵対していましたが、後白河と慈子の親戚関係を通じて再び後白河と清盛の2人は接近していくのです。

複雑ですが、平清盛の平家繁栄のためという信念は一貫しているのがわかるとわかると思います。

やっと登場!三十三間堂(蓮華王院)

慈子のおかげで、親しい関係に戻った後白河と清盛。

後白河は仏教を深く信仰していたため、清盛に蓮華王院の建立を命じます。そして1164年、蓮華王院が建立されるのです。

平清盛は、平家の力を見せつけるため、また、慈子との間に生まれた子の将来のため、豪華絢爛な寺院を建立したのです。

しかしながら、当時の豪華絢爛な様子はもう見ることができません。1200年代に蓮華王院は火災により焼失してしまい、現在まで残っているのは本堂しかないからです。

こうした複雑な歴史の中で建立されたのが三十三間堂です。1001体の仏像はもちろんすごいですが、仏像を見ながら当時の、清盛と後白河の気持ちを考えるのもまた一興だと思います。

三十三間堂が作られました話をしたので、次は本堂内にある千手観音の話!

次:三十三間堂の千手観音の歴史と見所まるわかり!【仏像・蓮華王院】2/2

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