日本刀の由来・起源をわかりやすく【武士と騎馬戦を知る】

NasunoYoichi

前回は、俘囚(ふしゅう)という東北から強制移住させられた蝦夷が武士たちに日本刀と騎馬戦法を伝えたという話をしました。

今回は、日本刀についてもう少し詳しく見ていきます。

スポンサーリンク

俘囚の戦法。弓で動きを止め、刀で仕留める!

俘囚の戦法は、弓矢による騎射で相手を弱め、弱ったところを騎馬しながら刀で斬撃する!というもの。

俘囚は、東北の蝦夷です。日本は、平安時代初期にこの蝦夷たちと30年という長きにわたる戦争をしていました。

詳しくは

をどうぞ!

坂上田村麻呂の記事では触れませんでしたが、馬を乗りこなし弓と刀を巧みに使いながら攻めてくる東北の蝦夷は、日本軍にとって超強敵でした。

この巧みな戦法に加え、地の利を生かしたゲリラ戦を繰り広げます。そして、本来、統率力に欠ける蝦夷でしたが、優れたリーダーシップを持つアテルイにより統率力もしっかりと持っていた東北の蝦夷たち。

この強敵を破ったのが、坂上田村麻呂。田村麻呂は、蝦夷懐柔策を展開し、智謀によりアテルイを追い詰めていきます。(詳しくは上の坂上田村麻呂の記事を見てね!)

日本刀の起源!?騎馬戦に特化した蕨手刀

C0017895

(出典:東京国立博物館HPhttp://www.tnm.jp/

俘囚による騎馬戦による斬撃に使われたのが、上の画像にある蕨手刀(わらびてとう)という刀。そして、蕨手刀こそが、日本刀の起源と言われている刀なんです!

蕨手刀は、騎馬戦に特化した刀。騎馬斬撃の衝撃に耐えるため、柄(つか。持つところ)と刀身は、接着するのではなく一体型で、柄の形は、長方形ではなく手への衝撃が軽減されるよう、工夫されています。

この蕨手刀が、日本の当時の有力者たちへ伝わっていき、あの日本刀へと少しずつ進化していきます。

なぜ蕨手刀が日本へ伝わったのか

こんなすごい蕨手刀ですが、どのようにして日本に伝わったのか。を見ていきます。

強制移住させられる俘囚

俘囚は、坂上田村麻呂により敗れた東北の蝦夷たちを日本に帰化させるため強制移住させられた人々です。

この強制移住により、東北の蝦夷たちが日本にとって身近な存在となります。

強制移住させられた俘囚は、意外にも移住先で強制労働をさせられたりはせず、移住後も税が免除され、比較的自由な生活ができました。(なぜ、こんな優遇されたのか?についてはここでは省略します。すみません・・・)

蝦夷の人々は、昔から狩りで生計を立てていましたが、強制移住後も、変わらず馬で山野を駆け巡り狩りを行っていたのです。そのため、移住により騎馬の仕方を忘れるというようなこともありませんでした。

税金をめぐる地方反乱の鎮圧。傭兵として戦う俘囚

いくつかの記事で紹介してきたように、平安時代の日本は、律令制が崩壊し、税制の仕組みが大きく変わり、ざっくりとこんな感じになってしまいました。

【今まで】

公地公民制に基づき、それぞれの農民が小さな土地を与えられ、そこで耕されたものを農民たちから税として徴収していた。

【律令制崩壊後】

墾田永年私財法の施行により、巨大な私有地と多くの農民を持つ富豪者が現れる。次第に税金もこの富豪者から徴収しなければならないが、力を持つ富豪者はこれに強く反発し、たびたび争いとなることがあった。

律令制が崩壊後、国内での争いが大幅に増加しました。

納税に反対する有力者や税金を運送中に強奪する輩に対抗するため、税金徴収の責任者たる受領は、これに対抗しなければなりません。

が、受領は、本格的な武力を持っていませんでした。(古代日本の軍事と防衛の歴史【武士登場前の日本の軍隊とは?】で説明しましたが、朝鮮や中国からの脅威がなくなった平安時代、日本は軍隊の解体が進んでいたんです。)

そこで、受領が目を付けたのが強制移住させられた俘囚だったわけです!俘囚は、強制移住後、納税を免除され、日々狩りに明け暮れていたので、訓練された兵と同じぐらいの力を持っていたんですね。

こうして俘囚と日本人との強い接点が作られました。

初代武士「俘囚強すぎね?あいつらの戦法パクったろ」

こうして、傭兵として戦っている俘囚を横目で見ていたのが、日本の武士第1号の人たち。

争いが増えてきた平安時代中期の日本。次第に、自前で武装をしようとする有力者が増えてきました。

そんな日本人たちが、強さを求めて参考にしたのが俘囚でした。

こうして、俘囚の騎馬戦法と、蕨手刀を真似た有力者。

特に蕨手刀については、使いやすいように更なる改良を加えていきます。特に、騎馬戦の際に有利となるよう、刀剣の部分が蕨手刀よりも長くなっていきます。

そして改良に改良が積み重なって出来上がったのが日本刀なのです。

時代劇では、歩兵同士が日本刀で撃ち合うシーンが多いです。宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いも騎馬戦ではありません。

ですが、日本刀の元々の起源は騎馬戦に特化した刀だったのです。豆知識ですね!

東国での大反乱、鎮圧する初代武士

日本刀の話とは少しそれますが、武士の話をもう少し。

880年~900年にかけて、関東地方で、納税や境遇に不満を持つ者による大規模な反乱が起こっていたとされています。

この大規模反乱の鎮圧に動員されたのが、俘囚の戦法を学んだ初代武士たちでした。

反乱の鎮圧は成功。初代武士たちの活躍は目覚ましく、勲功を貰う者もいました。有名なのは、平高望、藤原秀郷という人物。平家の祖、と奥州藤原氏の祖です。

この活躍により、武士は社会的に強い影響力を持つようになります。受領も、反乱を鎮圧してもらった恩があったり、そもそも武力を持っている人物に、強気な姿勢で接することはできませんでした。

平将門の乱と藤原純友の乱

こうして、武士という身分が社会的にも認められてきたころ、武士による巨大な反乱が同じタイミングで2つも起こります。朝廷は恐怖に包まれたといわれています。

この2つの乱が、あの有名な平将門の乱と藤原純友の乱です。この2つの乱を通じて、武士は初めて歴史の表舞台に立つことになります。

次回は、平将門の乱について見ていきます。

次:超わかりやすい平将門の乱【みんな知ってほしい歴史の話】1/3

前:武士が誕生した理由とは?【日本の海賊の歴史】

楽しく学ぶわかりやすい日本の歴史講座一覧へ戻る

スポンサーリンク

こちらの記事もオススメです

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする