源三位頼政ってどんな人?わかりやすく紹介【以仁王の挙兵】

今回は、源頼政(よりまさ)という人物について紹介します。

源頼政は源氏の武士でありながら、歌人としても有名な人物。そして、武士としては少々変わった生涯を送った人物でもあります。

スポンサーリンク

没落する源氏の生き残り、源頼政

保元の乱・平治の乱という平安京内の2大内乱により、源氏は次々と没落してゆきますが、源頼政だけは源氏でありながら2つの内乱を無事に切り抜け、低い官位ながらも朝廷内で活躍し続けることになります。

保元の乱・平治の乱については以下の記事を参考にどうぞ。

今回は、人間関係が複雑でよくわからないことで有名な保元(ほうげん)の乱について紹介したいと思います。この記事だけでは...

平治の乱は、対立関係が超複雑であることで有名な1159年に起こった内乱です。この3年前に起こった保元の乱にも複雑な対立関係がありまし...

源頼政は、保元の乱・平治の乱で活躍した源義朝とは別の流れを汲む一族であったこともあり、独自の行動を採っていたことが幸いし、保元の乱・平治の乱ではいずれも勝者側の立場に立つことができたのです。

源頼政の大出世

源頼政は、源義朝の一族とは別ルートで古くから朝廷に仕えていました。その朝廷での長い経験から、朝廷での貴族的な立ち振る舞いも心得ており、武士でありながら貴族的な思考もできる、源頼政はいわゆる宮廷武士と呼ばれる存在でした。

保元・平治の乱でライバルの源氏を蹴落とし、朝廷において強い影響力を持つようになった平氏が活躍するようになっても、源頼政だけは中央政界で唯一の源氏武士として朝廷内で生き残ることに成功します。源頼政は平氏からの信頼も厚く、非常に重用される存在にまでなっていました。

「没落していった源氏たちを横目に、その源氏を滅ぼした平氏たちに仕えるとは何事か!源頼政は恥というものを知らないのか!!」と思うかもしれませんが、源頼政は中央政界での経験が長く、どのように振る舞えば朝廷内で自らが生き残れるのか?を熟知していました。

平氏政権下での源頼政の立ち振る舞いも、源氏の地位をこれ以上失墜させないための一種の貴族的な処世術だったのだろうと思います。

源頼政の歌人の才

源頼政は、朝廷で活躍する貴族的武士として有名ですが、歌人としても有名でした。朝廷内では公私を問わず、様々な場面で和歌を披露する場面があり、歌が上手いというのは朝廷において非常に優れた長所になりました。

源頼政が武士でありながら武士を嫌う貴族たちと共に中央政界で活躍できたのも、歌人としての源頼政の才に頼るところが大きかったはずです。

和歌でゲットした破格の昇進

1178年、すでに70歳を超えていた源頼政は、一族の今後の繁栄のため従三位(じゅさんい)という身分を望むようになります。当時、源頼政は正四位という身分でした。数字が小さくなるほど位が高くなってゆきます。

朝廷は、家柄や身分を重んじる社会。武士が朝廷内で昇進する際にも三位と四位には超えられない壁が存在しました。平氏は、圧倒的な影響力によってこの超えられない壁を突破しました。そして、高齢の源頼政も源氏の棟梁として死ぬ前に三位の壁を超えることを強く望むようになります。死ぬ前に「源氏が三位になった!」という実績を子孫たちに託そうとしたわけです。

ある日、源頼政は、平清盛に次のような歌を詠み、そこはかとなく低い身分のままである自らの境遇を嘆くことにしました。

のぼるべき

たよりなき身は

木の下に

椎(四位)をひろひて

世をわたるかな

この歌を聞いた平清盛は、「なぜ、平氏のために活躍をし、信頼も厚い源頼政が正四位の座に留まっているのだ!?」と驚きます。源頼政は確かに平氏からの信任厚く、重用される存在でしたが、平氏一門は源頼政の昇進を完璧に失念していたのです。

この和歌をきっかけに平清盛は源頼政を従三位に昇進させるよう取り計らい、遂に源頼政は従三位という武士では平氏しか成し遂げられなかった高い身分を得ることに成功したのです。

保元・平治の乱で没落したかに見える源氏ですが、平氏政権下でも源頼政により源氏の地位はなんとか保たれることになります。源頼政の活躍は非常に地味で、没落した源義朝のような戦などによる派手な活躍はありません。しかし、得意の歌や巧みな処世術で中央政界を生き抜き、源氏という武士でありながら従三位の身分にまで登りつめたことは賞賛に値する大事件でした。

一方、源氏が従三位になったことは他の貴族たちにとってもショッキングな出来事でした。「平氏だけでなく、源氏も従三位になる世の中になったのか・・・」と。貴族から見れば武士の台頭はライバルが増えることを意味するので、あまり良い出来事ではなかったのですが、源頼政はその歌人としての才などが貴族たち好かれており、極端に敵が増えるようなことはなかったようです。

平氏を裏切る源頼政 ー以仁王の挙兵ー

平氏政権下、源氏でありながら破格の昇進を遂げた源頼政ですが1180年、一変して平氏に対して謀反を起こします。

源頼政が謀反を起こした理由には諸説あって、明確なことはわかりません。1180年当時、平清盛は後白河上皇を幽閉し、各地の所領を平氏が独占。さらには、強権によって強引に孫の安徳天皇を即位させるなどその横暴な態度が多くの人の批判の的になっていました。このような平清盛の横暴な態度が、源頼政の心の奥底に長年秘められていた源氏の再興という野望に火をつけたのかもしれません。

源頼政は、平氏憎しで志を同じくしていた後白河上皇の息子の以仁王と共に打倒平氏計画を企てます。平氏に抑圧されていた各地の源氏に挙兵を呼びかけ、自らも挙兵する計画でした。詳しくは以下の記事を参考にどうぞ。

今回は、源平合戦のきっかけとなった以仁王(もちひとおう)という人物について紹介します。1180年、以仁王は各地の源氏...

しかし、平氏打倒計画はすぐに平氏側にも露呈し、平氏軍は討伐軍を派遣。源頼政と以仁王は挙兵をする暇もなく、同じく平氏と敵対していた奈良の興福寺へと逃げようとします。

源頼政は平清盛からの信任が厚く、実は以仁王討伐軍にも抜擢されるほどでした。つまり、源頼政が、以仁王と結託し平氏を裏切っているなど平氏側は露に思わなかったわけです。源頼政は、以仁王を追討中、密かに平氏軍を抜け出し以仁王に合流。事ここに至り、平氏側はようやく源頼政の裏切りに気付くことになります。源頼政は非常に狡猾な人物で、平氏からの信頼も厚かったことがわかります。

源頼政の最期

興福寺へと逃げる源頼政と以仁王は、今でいう宇治市の平等院のところで平氏軍に追いつかれてしまいます。源頼政は、以仁王を逃がすため平等院で平氏と衝突しますがこれに敗北。

死を悟った源頼政は、自害。最後に次のような辞世の句を残したと言われています。

埋木の

花咲く事も

なかりしに

身のなる果は

あはれなりける

源平合戦の影の功労者、源頼政

平等院での敗北により源頼政と以仁王の挙兵は失敗することになります。しかし、以仁王の挙兵に応じた各地の源氏たちが立ち上がり、日本は平氏と源氏が争う戦国の世へと突入してゆきます。これがいわゆる源平合戦というやつの始まりです。源頼政と以仁王が奮い立たなければ、源頼朝により鎌倉時代はなかったかもしれないのです。

源頼政は、各地の源氏への呼びかけや以仁王の挙兵にも決定的な仕事をしています。最後の最後まで命を賭けて以仁王を守り抜こうとしたのも源頼政でした。平等院の戦いによって自害したことで、それ以降あまり歴史上にその名前は登場しませんが、源頼政は源平合戦という日本史上屈指の大反乱のきっかけを作り出した影の功労者とも言える人物だったのです。

源頼政の武勇伝 ー妖怪退治!ー

源頼政は宮廷武士という名のとおり、の活躍の場は主に朝廷でした。歌人としての才を活かせる朝廷は源頼政にとってはまさに天職だったではないでしょうか。

しかし、源頼政は武士でもあります。実は、源頼政にはその文武両道さを示すような武士としての武勇伝も残されています。なんと、源頼政が天皇のために妖怪退治をしたというのです!そもそも妖怪なんているのか!?という点からほぼ100%事実ではないでしょうが、源頼政が歌人としてだけではなく、武士としても優れていたことを示す逸話として有名なお話です。

妖怪、鵺(ぬえ)

近衛天皇の時代、病を患う近衛天皇が突如として毎晩何かに怯えるようになります。「これは何か良からぬものが身の回りにいるに違いない!」そう思った朝廷の人々は、近衛天皇の護衛に武士をつけることにしました。そこで護衛役として選ばれたのが源頼政でした。

とある晩、源頼政が近衛天皇の部屋周辺を護衛していると突然黒雲が現れ、その中から妖怪が現れたのです。妖怪の名は鵺(ぬえ)。鵺はスフィンクスみたいにいろんな動物が合体したような妖怪で、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビという恐ろしい姿をしています。

源頼政はこれに怯むことなく、鵺に弓矢を放って妖怪を退治し、近衛天皇を守った・・・という武勇伝です。どこまで本当かは謎ですが、源頼政の武勇、弓矢の腕を示す逸話です。

まとめ

源頼政は、歌人の才を持ち、武勇にも優れた優秀な宮廷武士でした。多くの源氏が没落していった保元の乱・平治の乱という熾烈な内乱を巧みに生き抜き、ライバルの平氏の下で従三位という源氏として破格の身分にまで昇進した処世術に長けた人物でした。

最後は平氏を裏切り、平氏が滅亡するきっかけとなった源平合戦の引き金となった以仁王との挙兵を断行。挙兵計画は平氏によって潰されるものの、以仁王と源頼政の呼びかけにより各地の源氏が立ち上がり、平氏は1185年、壇ノ浦の戦いで滅亡に至ります。そしてその後、源頼朝が鎌倉幕府を開き、世の権勢は平氏から源氏へと移って行くのです。

スポンサーリンク

関連記事

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする