古墳と邪馬台国の関係知ってる?【三角縁神獣鏡と卑弥呼の謎】

古墳といえば、その大きさと前方後円墳と呼ばれる鍵穴のような独特の形を連想される方が多いのではないかと思います。

今回は、そんな古墳から歴史を読み解いていこうと思います。実は、古墳を読み解くということは、邪馬台国の謎に迫ることにもなります。

 古墳は突然作られたわけではない

古墳は、縄文時代から続く当時の墓制が大陸文化の影響も受けながら少しずつ変化を遂げて作られたものです。

決して、唐突に作られたわけではありません。古墳の前身は方形周溝墓と言われるものでした。詳しい話は省略しますが、お墓の歴史の一部と言うことになります。

空白の4世紀

古墳時代はおおむね200年代後半から300年辺りから始まったとされています。

そして、ちょうど、4世紀(300年~400年)のこの時代は、史料が非常に少ないため「空白の4世紀」と呼ばれることがあります。邪馬台国や卑弥呼に謎が多いのもこの空白の4世紀による影響が大きいでしょう。

そんな、謎多き時代に作られ始めたのが古墳でした。あんなに大きいのに、今でも謎が多いのが古墳なのです。

古墳から日本を読み解く

古墳は、形・大きさによっていろいろな種類があります。円墳、方墳、前方後円墳などが有名ですね。

古墳の種類・大きさに加えてその分布にも目を向けてみると、当時の国の在り様がなんとなーくですが、見えてきます。

古墳時代第1段階: 古墳ブーム到来!各地で古墳続出。種類も色々

卑弥呼のおかげで一度は平穏を取り戻した倭国(日本)。しかし、再び各地で戦乱の兆しが見えてきた。首領の権力の象徴たる古墳の増加は、そんな激動の時代を示唆しています。

古墳時代第2段階: 次第に前方後円墳が増え、畿内に古墳が集中する。

第1段階で始まった戦乱の世。次第に、権力が畿内に集中していく。その様子が古墳の分布の変化と、統一されていく古墳様式からわかります。これに合わせるかのように、地方の古墳が減少・縮小化していきます。

古墳時代第3段階: 全体的に古墳が作られなくなる。新しい時代へ

ある程度倭国が統一されたこの時期になると、人々は古墳に代わる新しい権力者の在り方を模索し始めます。

※細かな点については、明らかにされていない点も多いため、あくまでなんとなくの目安として見ていただければと思います。

古墳時代と一言で言っても、色々な時期があるんだなぁということを知っていただければと思います。

古墳と邪馬台国を結びつける。三角縁神獣鏡の謎

古墳の埋葬物を調べていると、いろんな地域から同じような特徴を持つ鏡が発見されました。この鏡が、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)です。名前がカッコいい。

三角縁神獣鏡の何が謎かというと、なぜいろんな地域から見つかるのか?という部分です。

当時は争いの多かった時代であることを考えると、全国共通で同じものが王の墓に供えられるというのはあまりに不自然です。しかも、鏡は当時の日本では最新技術であり、そんな簡単に手に入るものではありません。

これには大きく2つの仮説が立てられています。

仮説1:親魏倭王となった卑弥呼が大陸から持ってきたもので、統治の証として地方の豪族に与えていた。

仮説2:最新技術ながらも、日本が自力で作ることができ、当時当たり前に普及していたものだった。

仮説1にあるように三角縁神獣鏡の議論には、卑弥呼の存在がでてきます。

卑弥呼が治めていたとされる邪馬台国は史料が少なく、どこに存在したのか、九州説と畿内説で意見が分かれています。

三角縁神獣鏡は畿内で多く出土されているため、もし仮説1が正しければ、卑弥呼のいた邪馬台国は畿内にあることが有力になってきます。

このように三角縁神獣鏡の謎は、邪馬台国の謎と密接な関わりを持っているため、その議論については複雑な様相を呈しています。

古墳はそれ自体が謎多き存在ですが、邪馬台国の謎にも密接に関係していて、そのあり方の議論は、相当に複雑な様相を呈しています。

そして、その複雑さが、邪馬台国の謎を魅力的なものとし、人々を惹きつけているのです。

次は、古墳時代第2段階の権力集中がなされていく様子について説明します。戦国時代にも劣らない壮大な物語です。

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