清水寺に行く前に知りたい歴史【音羽の滝と坂上田村麻呂にまつわる意外な過去】

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さっそく第1弾!前の記事でもちょっと書いた清水寺です。上の写真は、清水寺で私が撮った写真。趣味でたまに写真を撮ったりします。

旅行雑誌に書いてあるようなことだと、面白くないので歴史に関係あるちょっぴりニッチな内容を目指したいと思っています。

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清水寺はなぜ建てられたのか?

清水寺にある音羽(おとわ)の滝って知っていますか?こんな感じのところです。

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滝の前はいつも観光客で賑わっています。

まずは、清水寺がなぜ建てられたのか、話したいと思います。

時代はさかのぼって800年頃。

清水寺のあった土地に観音様が住んでいました(正確には観音様の化身)。

観音様って・・・誰?

観音様は仏さまです。まずは、ちょっと仏さまについて説明させてください!

仏さまにもいろいろある

仏教の話を少しさせてください。
実は、仏さまにはランクがあります。簡単に説明すると

第1位 如来(にょらい)

如来は悟りを開いた偉い方々。仏ヒエラルキーの頂点に君臨。有名なのだと、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来の3つです。それぞれに役割があります。

第2位 菩薩(ぼさつ)

菩薩は、悟りは開いてないけどかなりいい線まで来ている方々。如来のお手伝いをします。

ちなみに観音様は菩薩に当たります。

観音菩薩がでてきたのでランキングはこれで終わりです。仏像について知っていただきたいと思い、知っておきたい仏像豆知識という記事も用意していますので、もっと知りたい!という方はどうぞ。

観音菩薩の役割

菩薩は如来のお手伝いをすると言いましたが、観音菩薩は阿弥陀如来の側近です。

阿弥陀如来は、人々を極楽浄土へと導く役割を担っています。極楽浄土とは阿弥陀如来の住む世界のことを言います。

極楽浄土では、現世の困苦から解放された幸せな世界が広がっているとされており、「辛いことがあっても、頑張っていれば阿弥陀仏がいつか極楽浄土へ導いてくれるはず!」と人々に信仰されていました。

そして阿弥陀如来の補佐をするのが観音菩薩の役目です。
観音菩薩は、直接現世に赴き、人々を救おうとしていたので、民衆にとっては身近な存在でした。観音菩薩が人々の前に現れるときは、その時々の状況に合せて姿を変えて現れることでも有名です。

とある僧侶が夢のお告げで音羽の滝へ

とある僧は延鎮と言います。音羽の滝へ行ってみると、明らかにオーラの違う修行者がいました。年齢は200歳、名は行叡居士(ぎょうえいこじ)

200歳でも不思議ではありません。行叡居士は観音菩薩の化身だからです。観音菩薩はいろんな姿に変化します。

延鎮は、行叡居士に「私は旅立つので、ここを頼む」とお願いされてしまいました。観音菩薩の言うことですからもちろん即答OKです。

これが清水寺の始まりです。

清水寺の育ての親、坂上田村麻呂

坂上田村麻呂は、当時(800年頃)の武将。武将と言っても官軍です。

この時期はちょうど有名な平安京が出来上がった時期です。天皇は桓武天皇でした。

唐への対抗意識

当時の時代背景を少しだけ。日本は、唐や朝鮮(高句麗・新羅)と密接な関わりを持っていました。894年の遣唐使廃止までは、日本は国際社会の一員だったのです。

そこで、あまりボーっとしていると唐や朝鮮に舐められる!ということで日本は、当時の大国である唐を参考に強い国作りを目指していました。

また、唐には天子思想というものがあります。
唐の外部の国々は天子(皇帝)の教えが行き渡っていない劣った国であるから、外の人びとにも天子の教えを広げ、唐へ帰化させていこうというものです。

日本も同じことをしようとしました。当時の日本にとっての外部とは蝦夷や九州南部であり、桓武天皇は唐の天子思想を真似し、蝦夷を国の中に取り込もうとしました

そんな中、蝦夷を平定するため、東北へ派遣された軍隊の総指揮官が征夷大将軍たる坂上田村麻呂でした。

清水寺と坂上田村麻呂の出会い

田村麻呂が東北へ派遣される前の話です。

妻の病気を治すため、音羽の滝付近で鹿の角を探してました。すると延鎮に話しかけられました。田村麻呂は、殺生をいけないという観音菩薩譲りの教えに感銘を受け、清水の地にお堂を立てました。これがお寺の土台となりました。

阿弖流為(あてるい)との戦い

坂上田村麻呂は東北で、蝦夷の超有能武将である阿弖流為と戦いました。この時、田村麻呂側には観音菩薩の使者が加勢してくれたと言われています。

観音菩薩のおかげ?もあって、坂上田村麻呂は阿弖流為に勝利し、東北平定は一段落する形となります。東北平定のための争い、実は38年間も続いていました。田村麻呂はその長い争いにひとまずの終止符を打ったのです。

阿弖流為は、その後処刑されてしまいますが、坂上田村麻呂は処刑に反対でした。現地住民を平安京から派遣された人々で統治するのは困難であり、統治には阿弖流為の有能さが必要であると異論を唱えました。結果、聞き入れてはもらえませんでしたが、田村麻呂の阿弖流為に対する強い信頼や田村麻呂の寛容な精神をそこに見ることができます。

田村麻呂、東北平定の功績により出世。そして清水寺も。

805年、東北平定後、坂上田村麻呂は清水寺を天皇から正式に与えられることとなりました。これは、坂上田村麻呂の功績が認められたということになります。

その5年後、810年には清水寺は遂に公認寺院として認められました。

坂上田村麻呂の東北平定の成功により、清水寺は栄えることができたのです。

その後、戦乱により何度か焼失しましが、そのたびに再建がなされ現在に至ります。

音羽の滝に行く機会があれば、観音菩薩を感じ、坂上田村麻呂に感謝しながら滝の水を飲みましょう!

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