誰でもわかる摂関政治!関白と藤原基経【陽成天皇と光孝天皇】4/4

Fujiwara_no_Mototsune

【日本初の関白となった藤原基経】

摂関政治をわかりやすく説明する!という目的の下、摂政という役職がなぜ生まれたのか?という点について数記事に渡り見てきました。

次は、関白という役職について見ていきます。

弱まる天皇の権力

866年、応天門の変の対応を行うことができず、すべてを摂政の藤原良房に任せてしまった清和天皇。

清和天皇は876年、27歳という若さで陽成天皇へ譲位してしまいます。清和天皇の治世は、実質的に藤原良房が支配していたと考えられているので、それに嫌気がさして天皇をやめてしまったのかもしれません。いずれにせよ、清和天皇に統治能力があったのか?と問われれば、「微妙」という回答になるでしょう。

清和天皇に続く幼少天皇:陽成天皇

陽成天皇は、9歳で即位します。清和天皇に続く統治能力を持たない幼少天皇の登場です。

奈良時代の天皇や、平安初期の桓武天皇らの時代を知っていると、ちょうど850年ぐらいから明らかに天皇主権の在り方に変化が生じていることが実感できます。少し前の天皇たちは自らバリバリ仕事をこなすタイプが多いです。

清和天皇は、陽成天皇への譲位と同時に藤原基経という人物に陽成天皇の摂政として補佐をしてくれ!とお願いをしています。

こうして、日本初の関白となる藤原基経が摂政として政治の表舞台に登場します。

天皇が藤原氏に屈するとき -陽成天皇、譲位させられる-

陽成天皇が即位して4年後の880年、清和天皇が逝去しますが、その後、次第に基経と陽成天皇の仲が険悪な雰囲気になっていきます。

理由はよくわかっていません。いろんな説があります。

何はともあれ、陽成天皇は藤原基経との不仲が原因で、藤原基経の強い後押しにより譲位させられてしまいます。884年です。

清和、陽成と幼少天皇が2代に渡って続き、政治の実質的権限を摂政の藤原氏(藤原良房と基経)が握ってきました。摂政は天皇が幼少のころに代わりに政治を行う役職のことでしたが、天皇の力が弱まると天皇が成人しても天皇と同等の権限を持って政治を行う役職が作られていきます。それが関白なんです。

陽成天皇の頃になると、天皇の力は著しく衰え、藤原氏が朝廷内で根回し(脅迫?)すれば嫌な天皇を譲位に追い込んでしまうほどの強い権力を持つようになったのです。

藤原基経に担ぎ出された光孝(こうこう)天皇

陽成天皇の譲位に追い込んだ藤原基経が次に担ぎ出した天皇が光孝天皇

強すぎる藤原基経の力。遂に関白へ

光孝天皇は、55歳という高齢での即位でした。

幼少天皇の下、強大な権力を誇っていた藤原基経の摂政という役職も不要になってしまいました。摂政は、本来、幼少の天皇を補佐する役職ですから、55歳の光孝天皇には不要の役職です。

しかし、藤原基経は依然として強い権力を持ち続けており、さらに光孝天皇は藤原基経のおかげで天皇になれたわけです。

光孝天皇としても、「摂政はもういらないから、藤原基経の役職はもういらないね!」と単純にはいかないわけです

そこで光孝は、藤原基経のために新たな役職を考え出します。それが関白という役職なのです。(光孝天皇のころは、「関白」という名前はまだありませんでしたが、仕事内容的には関白に等しい)

恩義を感じる光孝天皇 -藤原基経の絶対権力-

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(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/
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上の天皇系図を見てください。

天皇家の直系血族は、文徳、清和、陽成という系図です。光孝天皇は天皇家の傍系であり、通常では天皇にはなりえない存在でした。

しかし、陽成天皇を嫌った藤原基経は、普通では天皇になりえない光孝天皇を天皇に指名しました。(これは基経に強大な権力があったからこそできたこと!)

これに恩義を感じた光孝天皇は、藤原基経に対して、引き続き「太政大臣として大政を任せる!」と政治の全権を基経に委ねます。これが、実質的に関白と同等の役職となります。

また、光孝天皇は、次期天皇を藤原基経が後で自由に決められるよう自分の子供たちの身分をわざと格下げしてしまいます。(臣籍降下といいます。)

こうして、清和、陽成、光孝と3代にわたり、実質的権力を持たない天皇が現れたことで摂政と関白という天皇の代わりに政治を行う役職が作られ、平安時代中期に絶対的権力者として君臨する摂関家としての藤原氏が登場していくのです。

天皇権力の復権へ -宇多天皇VS藤原氏-

藤原基経は、次期天皇を宇多天皇に指名します。

この宇多天皇は、天皇の権力を昔の桓武天皇や聖武天皇の頃のように復活させようと藤原氏と対立しようとします。

この対立の象徴的な事件が、阿衡の紛議という事件。とてもじみ~~~~な事件なんですが、あの学問の神様で有名な菅原道真も登場する事件です。

次回は、阿衡の紛議についてわかりやすく解説します。

次:わかりやすく解説!阿衡の紛議とは?菅原道真と宇多天皇

前:応天門の変の絵巻が意外と面白いww【伴大納言絵詞。誰でもわかる摂関政治】3/4

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