超わかりやすい藤原純友の乱【受領との戦い】3/4

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前回は、939年に藤原純友が出兵する前の話でした。今回は、いよいよ藤原純友の乱の本編に進みます。

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備前国の争い

備前国(今でいう岡山県南部らへん)で受領と地元の有力者との間で争いが起こります。

この争いに藤原純友は巻き込まれていくことになります。

ここで登場人物の紹介

備前国の受領:藤原子高(ふじわらのさねたか)

地元の有力者:藤原文元(ふじわらのふみもと)

藤原純友にとって文元は、海賊討伐を共にした盟友でした。藤原純友は、盟友の文元から援軍要請を受け、伊予国から備前国へ(今でいうと愛媛から岡山)と旅立ったのです。

この辺の話は、平将門の乱と非常に似ています。

藤原純友にビビる藤原子高

939年12月、藤原純友は備前国へ向かいます。この情報を知った子高はビビります。藤原純友の武勇は中国・四国地方では有名だったからです。

子高は、妻子を連れて逃げ出します。一国の受領であってもやはり藤原純友は恐ろしい存在だったのです。

しかし、子高は逃げ切ることができず、藤原文元によって打たれてしまいます。

残虐非道な藤原文元

文元は、子高を捕らえ、降伏を求めている子高の耳・鼻を切り落とし、リンチしたうえで、子高の妻子を殺すという残虐非道な仕打ちを子高に与えます。

しかし、この話をただ単に文元は残虐なやつだ!!と考えてはいけません。

藤原文元は、受領の子高から強い弾圧を受けていました。そんな文元には、次のような気持ちが湧き上がってきたに違いありません。

俺は、藤原純友と共に海賊を打った武者だ。なぜ、ここまで税金を納めろ納めろと言われなければならない?しかも朝廷は俺の活躍を認めてくれない(勲功がもらえない)。おかしいだろ・・・

こうして、子高から不当に強い弾圧を受けていたと感じていた文元は、子高に対して強い憎しみの念を抱いていました。その強い憎しみが、文元にここまで残虐な行為を行わせたのです。

文元の残虐行為は、子高による強い弾圧の結果とも言えるわけです。

936年の勲功を巡る藤原純友と朝廷の心理戦

朝廷は、「藤原純友、藤原文元に加勢す」という報告を受け、衝撃を受けることになります。朝廷は藤原純友を説得するため、ただちに使者を派遣。藤原純友に京へ戻り説得に応じるよう促します。

藤原純友は、説得には応じず、次のような要求を朝廷に突き付けます。

その1:文元の行いは、そもそも子高の圧政が原因であり、文元は被害者であること。

その2:そのため文元の残虐行為は免責されるべきであること。

その3:936年の海賊討伐の際に黙殺していた勲功を活躍したものに与え、しかるべき恩賞を与えること。

この3つの要求からわかることは、藤原純友は朝廷に対して全く譲歩するつもりがないということ。実は、朝廷は同時期に発生した平将門の乱への対応でそれどころではありませんでしたそれを藤原純友は見抜いていたのです。

東西同時に起こる乱。恐怖に包まれる朝廷

藤原純友が備前国へ向かい、文元へ加勢したのが939年12月。そして平将門が、新皇を称して関東一帯を支配したのも939年12月。

この2つの乱の報告を受けた朝廷は、恐怖に包まれました。藤原純友は、この状況を利用し、上記の3つの要求を押し通そうとしたのです。

明くる940年のお正月、朝廷では連日のように会議が開かれました。朝廷には、2つの乱を同時に平定する兵力はありません。そんな朝廷は、会議の中で平将門を先にどうにかすることを決定します。

そして朝廷は、平将門の乱の平定に専念するため藤原純友の要求を飲むことにしました。藤原純友には936年の海賊討伐の勲功を与え、藤原純友以外の者にも活躍したものには勲功を与えます。受領の子高をリンチした藤原文元にも勲功が与えられました。

朝廷は、藤原純友の要求をタダで飲んだわけではありません。文元らに勲功を与えるかわりに平将門の討伐に加勢するよう命じます。しかし、文元はこれを拒否。それだけではなく、勲功を貰ったにもかかわらず、朝廷を無視して備前国を制圧しようと行動をやめませんでした。

終わらない戦い

藤原純友の目的は、936年の海賊討伐の勲功や報酬をちゃんと貰うことです。没落貴族となっていた藤原純友は、武勇により出世しようと考えていました。

そのため、藤原純友にとっては、朝廷が要求を飲んでくれたことでこれ以上朝廷と争う必要性はなくなっていました。

しかし、藤原文元が備前国での戦いを一向にためないため、藤原純友は微妙な立場に立たされました。(藤原文元以外にも、一部の地域では大規模な反乱が収まりませんでした。)

藤原純友は戦いを止めたいけど、味方が止めてくれない。

文元らは、今までの腹いせや国を支配したいがために戦いを続けたい。逆に藤原純友が消極的なまま。

朝廷は、平将門の乱でそれどころでないため、それまでなんとか時間を稼ぎたい。

3者の複雑な思惑が絡み合い、しばらくは膠着状態が続きます。しかし、この膠着は940年2月の平将門の乱の終焉により崩れます。朝廷は、四国・中国地方の乱を平定するため、遂に本格的に動き始めるのです。

こうして、藤原純友は最終局面へ突入します・・・。

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