超わかりやすい藤原純友の乱【公務員のリストラと海賊たち】1/4

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前回は、3記事を使って939年に起こった平将門の乱のお話をしました。

平将門が関東地方で新皇(新しい天皇)と名乗り、朝廷に謀反を起こしたのとまさに同時期に、実は中国・四国地方でも大きな反乱が起きていました。それが藤原純友の乱です。

平将門の乱は、記事を読んでいただけるとわかると思いますが、乱を起こした動機が非常に曖昧です。受領と富豪層の人々の仲介をしていたところに、私的な闘争も加わり、規模が大きくなりすぎてしまったため、朝廷から討伐されそうになりました。そこで、「どうせなら朝廷と有利な条件で交渉できるよう関東一体を支配して朝廷を脅してやろう」と思い立ち、平将門は関東を支配しました。これが将門の意に反し、大事になってしまったというのが平将門の乱。

一方、藤原純友の乱の動機はとてもシンプルです。

その動機とは、「俺ら朝廷のために働いたんだから、働きに見合った勲功をよこせ!そうしないと暴れるぞ!!」といった朝廷への不満。この2つ乱が起こるまでの武士たちは、朝廷から相当に見下されていたということです。

というわけで、詳しい内容を見ていきます。平将門の乱と同じく数記事に渡ってしまいます・・・。

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藤原純友は朝廷から追い出された没落貴族

当時の朝廷社会は、世襲制でした。世襲制というか、息子たちは、強大な父の後ろ盾がなければ、出世コースに上がることはできませんでした。

つまり、お父さんがどれだけ偉い人か(強い影響力があるか)?で自分の出世ルートがほとんど決まってしまうと言っても過言ではありません。

藤原純友の父は、太宰少弐(だざいのしょうに)という役職。大宰府(今でいう九州の博多あたり)を支配する役所の次官です。(厳密には違いますが、副館長とか副知事とかそんなポジションだと思ってください。当時の貴族の役職としては、平凡な感じです。)

藤原純友は父を失い、後ろ盾を失ったことで今でいう公務員として働く道を失いました。今でいうリストラみたいなもんです。こうして藤原純友は没落貴族となったのです。

そして、職を失った藤原純友に「一緒に働かないか?」と声をかけたのが、藤原元名(ふじわらのげんな)という人物でした。藤原元名は藤原純友から見ると「おじ」にあたります。

元名は、可哀想だから藤原純友に声をかけたわけではありません。藤原純友には、とある才能があったからです。

海賊退治に定評のある藤原純友

藤原元名は、藤原純友の海賊退治の実績に目をつけます。

藤原純友の父は、大宰府(今でいう福岡県太宰府市!)の次官。そして大宰府は朝鮮半島との通商の要所です。そのため、博多には商船などを狙う海賊たちが頻繁に出没していたのです。そして、藤原純友はまだ父が生きていた頃、この海賊らを退治するため日々奮闘していたのです。

没落貴族とはなったものの、父のおかげで自然と海賊退治スキルを身に付けていたといことになります。この海賊退治スキルのおかげで、藤原純友の名が後世まで残ることになるとは、父も息子も思わなかったはずです。

伊予の国の海賊退治

藤原元名は、伊予国(いよのくに。今でいう愛媛!)の守(かみ。国司の四官等制のトップの役職。受領と同じ意味。難しいけど要は伊予国の一番偉い人!)。

伊予国では瀬戸内海で発生する海賊の被害に困っていました。そこで、元名は行き場を失った藤原純友の海賊退治スキルに目をつけたというわけ。

ところで、伊予国で発生したこの海賊たち。実は・・・リストラされた公務員たちでした。

国政改革でリストラされる公務員

伊予国で発生した海賊は、そのほとんどが、元公務員で舎人(とねり)という役職の人々でした。

舎人は、朝廷内の雑用係です。いろんなことをしていました。

舎人はなぜリストラになったのでしょうか?背景には、894年の遣唐使廃止も含めた一貫した日本の鎖国スタイルにあります。

舎人、仕事が無くなる

遣唐使廃止前までの日本は、中国に次ぎ大帝国という自負を持っていて(朝廷的には、ナンバーワンだと思いつつも、中国には敵わないということも知っている複雑な状況だった。)、その帝国たるゆえんを他国に見せつけてやろうと、新羅などの朝鮮の人々を招いて壮大な儀式を頻繁に行っていました。

この壮大な儀式は、大量の雑務を伴うため、舎人たちにもしっかりと仕事があったのです。

しかし、日本は次第にこんな風に思い始めます。

どうせ中国に敵わないのに、威張り続けるのも疲れてきた・・・。国内の統治も安定してきてたし、なんか朝鮮とか中国が攻めてくる様子もないし、もう日本強いアピールいらないんじゃね?朝鮮や中国と貿易は続けるけど、政治的な外交はもうやめるわ!

こうして、外交を縮小したことで大規模な儀式は激減。これに伴い舎人たちの仕事も無くなっていきます。

【悲報】ニート舎人、税金を払わない

職を失った舎人たちは、地元で免税特権を掲げ税金を納めずに暮らしていました。当時、舎人には税が免除される特権があったのです。

この税金を払わない舎人たちは、受領たちにとって邪魔な存在でした。受領にすれば、「お前ら舎人だけどもう仕事してないんだから免税特権なんかねーよ!!」と言いたいのですが、受領には免税と解く権限はありません。

この受領たちの悩みを見かねた朝廷は、受領に舎人の解任権と逮捕する権利を与えます。(朝廷は、税金がちゃんと納められないと困るので、基本的に受領の味方になることが多いのです。)

海賊になる舎人たち

こうして解任(リストラ)されてしまった舎人たちは、海賊となります。

実は、伊予国は舎人に支給するためのお米の産地でした。リストラされた舎人たちは海賊となって次のように自分の行為を正当化します。

「伊予国で収穫された米は、舎人へ支給する米なんだから俺らの米だ。なぜ俺らにちゃんと納与えてくれないの?支給してくれないなら無理やり奪うしかないな・・・ハァ、海賊しよ」

こうして、伊予国では、元公務員たちによる海賊被害に苦しむこととなりました。

そこで白羽の矢が立ったのが藤原純友だったわけです!時代的には935年前後の話になっています。

次回は、この海賊退治から藤原純友の乱が起こる前までのお話をします。

次:超わかりやすい藤原純友の乱【海賊退治と与えられない勲功】2/4

前:平将門の乱をわかりやすく丁寧に説明してみる【新皇になる将門】3/3

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