平安時代の農民が税金で苦しんだ理由とは【鬼畜すぎるその手口】

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前回(日本の税の歴史!租・調・庸とは?日本の税の由来とは?)は、奈良時代(700年ごろ)から登場した租・調・庸(雑徭)について説明しました。

今回は、このうち「租」をピックアップしてみていきます。

租は、初稲儀礼という神への捧げものが起源とされている税ですが、これが次第に無機質な税へと変化してしまう様子を見ていきます。

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出挙(すいこ)制度 -利子付きの稲貸し

当時の日本には、農民たちが稲が必要な時期に国が稲を貸す制度がありました。出挙(すいこ)と言います。貸し出しには利子付きました。

※私人が貸すことを私出挙。国が貸すことを公出挙(くすいこ)と言います。今回は公出挙の話になります。

必要な時期というのは、種まきをする時期と田植えの時期。種稲という意味合いと、どちらも冬~春ですから備蓄が少ない時期の非常食的な意味合いもありました。

農民たちも、おそらく、この出挙制度には助けられたこともあるでしょう。

出挙は当初は、農民を助けるための制度でした。当時の利率は50%というとんでもない利率でしたが、それでも農民の役に立っていました。

ちなみに利子とは稲です。例えば100の稲を借りたら150の稲を返済するという感じ。

国は農民から税を搾取するためこの出挙を巧みに利用します。

公出挙が強制高利貸しへ変貌

しかし、奈良時代も中盤(だいたい700~750年ぐらい)に進むにつれて、この公出挙が借り手の意思に関係なく半強制的に貸し付けられるようになりました。まるで官製ヤクザです。

なぜこんなことになってしまったのか?租についてもうちょっと詳しく見ていきます。

正倉に蓄えられる稲 -忍び寄る悪魔(国)の手-

租は、神への捧げもの、非常時の備蓄稲に由来する税です。

国としても当初は、租として税金を徴収しましたが、その用途のほとんどはそれまでと変わらず、神へ捧げもの・備蓄稲でした。

するとどうなるでしょう。稲は次第に蓄えられていきます。(非常事態が何回もあれば貯まらないかもしれませんが)

蓄えられた稲は、正倉(しょうそう)という倉に蓄えられていきます。蓄えること自体は、租という税金制度が始まる以前から変わりませんが、一応、租として国の税金になったので正倉のカギはお役人が管理することとなり、私人では自由に使うことができませんでした。(おそらくそれまでは、地方の有力豪族が管理していたものと思います。)

こうして各地で大量の稲が使われないまま膨大に蓄えられていきます。

国は、こんなにたくさん徴収した税なのに自由に使うことができません。租は、神への捧げものを由来としているせいなのか、何かに利用される際には、租が具体的に何に使われたのかわかるようになっていました。例えば、集落で使う祖は「群稲」、中央(平城京)へ派遣に行く際に使われる稲は「公用稲」とか、ちゃんと用途がわかるよう名称が付いていたのです。今でいう行政の特定財源です。(ガソリン税は道路に使う・・・とかね)

が、お役人が目の前の膨大な税金(稲)を目の当たりにして指を咥えてじっとしているわけはありません。

お役人たちは、神々への捧げものとして農民が長年にわたって蓄え続けていた正倉の稲を不正に利用するようになっていきます。

今、「不正」という言葉を使いましたが、何回も何回も繰り返されていくうちにこの不正が当たり前となり、遂に租は国で一定程度自由に使える税へと変貌していきます。

今まで群稲とか公用稲とかいろんな名前で呼ばれていた租税は、すべて合算して正税と呼ばれるようになり、収める側(農民)からは何に使われているのか全く分からない税になってしまったのです。

農民から見れば、昔から神々に捧げていたはずだった租が気づいてみたらお役人のために収めることになっていたのです。

租の制度が始まり時間が経つうちに神への捧げものという概念が風化してしまったのが原因だと思います。時というのは本当に恐ろしいものです。

正税ができて、お役人が使える税が増えたなら、公出挙を強制貸付する必要なんてないじゃん!と思うかもしれません。

正税には、デメリットもありました。それは徴収事務が煩雑なこと。

戸籍による人・土地の管理の限界

朝廷は、税金を農民1人1人から徴収できるよう、人・土地の状況を把握するために戸籍の作成を始めます。

これが、学校で習った庚午年籍(こうごねんじゃく)とか庚寅年籍(こういんねんじゃく)

正税は、戸籍に基づき徴収されます。しかし、人・土地の状況を把握し、税を徴収するのはかなりの煩雑さを伴いました。

そこで、お役人が手っ取り早く税金をたくさん搾取する方法として発案したのが、高利率の強制高利貸しでした。なんたって利率50%という驚異的な利率です。これを強制的に貸し付ければ自動的に1.5倍になって戻ってきます。こんな簡単な稼ぎ方はありません。

出挙が強制貸付となった背景はまだあります。農民に追い打ちをかけるような仕組みが次から次へと出来上がります。

国「地方官は、公出挙で強制貸付して自力で稼ぎやがれ」

国は、一般財源として正税を徴収していましたが、税の分配が上手く機能しませんでした。税収不足もあったのかもしれません。地方のお役人へうまく税が行き渡らなくなりました。

そこで、国は今でいう地方公務員たちに対する正税による補償をすべてカット。さらに「地方公務員は、出挙で高利貸しでもして自分の食い分は自分で稼ぎな。お前らのことはもう知らね。あ、でも正税の徴収はちゃんとしてねwww」とすべてを地方に丸投げしてしまいます。

こうして、地方官たちは自らの生計を立てる(富を肥やす)ため農民たちに強制的に稲を貸し出します。利率50%で(汗

虐げられる農民 -現代に通ずる税の考え方-

と、こんな感じで租は改悪に改悪が重ねられ、多くの民を苦しめる税へと変貌していきます。

おそらく、反発も大きかったと思いますが、結果的に国の力が勝った形となりました。

そして、この時代の税に対する国の対応は現代の税制にも基本通ずるものがあるだろうと私は思っています。

神々への捧げものが、租という税となり、さらに、国民が昔を忘れかけた頃に国にとって都合の良い税へと変えられてしまいました。

自分の老後のために支払っているはずだった国民年金は、時間を経て、今現在生きている老人たちのために搾取されるものとなり、支払っている方々が支給対象になる頃には、ごくわずかな金額しか年金を貰うことができなくなっています。

案外、厚労省の官僚たちは、時が経って昔の潤沢だった国民年金の記憶が国民から忘れ去られるのを待っているのかもしれません。

次回は、税徴収の基礎となった、公地公民制のお話をします。

次:日本の税の歴史!墾田永年私財法と班田収授法をわかりやすく

前:日本の税の歴史!租・調・庸とは?日本の税の由来とは?

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