延喜・天暦の治をわかりやすく教えます【醍醐天皇と村上天皇の時代】

pak15050416oreyagi_tp_v

前回は、平将門の乱・藤原純友の乱という有名?な戦いについて紹介しました。これからは、あの有名な藤原道長について詳しく見ていきます。

多くの本やサイトでは、藤原道長といえば、いきなり摂関政治の全盛期の話になりますが、このブログでは、西暦900年ぐらいから藤原道長が活躍するまでの間をゆっくり見ていくことにします。

年代的には、菅原道真の左遷と学問の神様になった理由【昌泰の変】3/3の続きになります。菅原道真が左遷させられた後ですね!

スポンサーリンク

理想的な治世と言われる延喜・天暦の治

日本の歴史の中には、後世の人々に「この時代は、良い時代だった!!」と呼ばれる時代がいくつかあります。

その中に、醍醐天皇と村上天皇の時代があります。合わせて「延喜・天暦の治」(えんぎてんりゃくのち)と呼ばれています。当時の年号を採って、このように呼ばれるようになりました。

醍醐天皇と村上天皇の時代はなぜ評判が良いのか?

醍醐天皇と村上天皇の時代がなぜ良い時代と呼ばれるのでしょうか?

それは、「天皇が主導して様々な施策を打ち出し、善政を行った!」とされているからです。

特に「天皇が主導して」というのが重要!なぜなら、延喜・天暦の治は、天皇が権力を持つ時代に特に「良い時代だった!」とアピールされるからです。

天皇が権力を持った時代で一番わかりやすいのは、やはり世界大戦中の日本でしょう。戦時中の日本では、延喜・天暦の治は天皇主権の良い例として認識されていました。

また、鎌倉時代にも武士の世となった世界を平安・奈良時代のような天皇主権の世界へ戻そうと奮闘した天皇がいました。

後醍醐天皇です。後醍醐天皇は、天皇主権の時代の復活を目指しますが、その際にスローガンとして掲げたのが、醍醐天皇の治世でした。(後醍醐天皇という名からもそれがわかりますね!)

以上のように、延喜・天暦の治はよく善政の例として挙げられますが、天皇主権を掲げるその時々の政権がスローガンとして利用している一面もあるのです。

逆に、武家政権(江戸時代とか鎌倉時代)には延喜・天暦の治が善政として名を馳せることはありませんでした。

というわけで、とても政治色が濃いのが延喜・天暦の治なのです。

醍醐天皇は何をしたか?

醍醐天皇の治世は、延喜・天暦の治のうちの「延喜」の年号に当たります。

醍醐天皇の時代は、班田収授の仕組みが崩壊していく時代でした。班田収授の仕組みは、天皇が絶対的権力を持っていた奈良時代の天武天皇や聖武天皇がいた頃に作られた制度です。つまり、天皇主権の象徴的とも言える制度です。

醍醐天皇は、私有地ばかりの土地を天皇主導の基で班田収授できるよう整理する法律(荘園整理令と呼ばれます。)を施行し、崩壊し始めていた班田収授の仕組みを維持しようと努めます。

この醍醐天皇の姿勢や摂政・関白という役職を置かなかったこと、醍醐天皇の治世がたまたま平和だったことが、後世、天皇主権による善政の象徴として語られることになるのです。(ただし、醍醐天皇治世は天皇主権というよりも天皇と藤原氏の共同治世という面の方が強いです。)

不運な朱雀天皇

醍醐天皇の次の天皇は、朱雀天皇という天皇でした。

天皇の順としては、醍醐→朱雀→村上という順。延喜・天暦の治は醍醐天皇と村上天皇の時代ですから、間の朱雀天皇の時代は除かれています。これはなぜでしょうか?

富士山噴火、地震、洪水、反乱、呪われし朱雀天皇の時代

朱雀天皇の時代は、悲惨な時代でした。

富士山の噴火や地震などの災害に見舞われ、さらに追い打ちをかけるように平将門と藤原純友が乱を起こします。

このように、朱雀天皇の治世は平和でなかったことや、これらの災難への対応が天皇主導で行われなかった(摂政や関白が実権を持っていた)ことが、朱雀天皇の治世が良い時代とされなかった理由です。

と、可哀想な朱雀天皇でした。もし即位していた期間が少しずれていたら、朱雀天皇が善政を行った天皇として有名になっていた可能性もあります。歴史は、紙一重の連続というわけです。

村上天皇は何をしたか?

村上天皇がやったことも、基本的には醍醐天皇と同じです。通貨の刷新などを通じて、天皇が絶対的権力を持っていた奈良時代の制度を維持しようと努めました。

村上天皇も醍醐天皇と同じく比較的平和な時代であり、さらに摂政や関白を置いておらず、これが後世の天皇主権を目指す人々にとって理想の治世とみなされることになります。

村上天皇が醍醐天皇と違うのは、村上天皇は摂政・関白を置いていないため、天皇主導の政治を行ったと考えられていますが、実際には、藤原氏に強い影響力があり、醍醐天皇のような藤原氏との共同統治はできず、藤原氏主導の政治だったようです。

まとめ

延喜・天暦の治とは、天皇主導の政治を行った天皇で、かつ、その治世が平和であった時代のことです。それがたまたま醍醐天皇と村上天皇の時代だったというわけです。

そして、延喜・天暦の治は、天皇主権を目指す人々のスローガンとしてたびたび利用されてきました。そーゆー意味では、戦時中、軍国主義の日本を作り上げるのに一役買ってしまった面もあるかもしれません。

次:安和の変(あんなのへん)をわかりやすく【藤原氏、出世コース確定へ】

前:超わかりやすい藤原純友の乱【武士の世の始まり】4/4

楽しく学ぶわかりやすい日本の歴史講座一覧へ戻る

スポンサーリンク

関連記事

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする