世界遺産!知らなきゃ損する平等院鳳凰堂の豆知識【その2】

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前回:世界遺産!知らなきゃ損する平等院鳳凰堂の豆知識【その1】

今回は、平等院鳳凰堂の仏閣について見ていきます。平等院鳳凰堂の建立時期は、いわゆる「国風文化」の時代と言われており、現在まで通ずる日本独自の「和風」文化の土台となる時期です。

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極楽浄土を再現する平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂のモチーフは、極楽浄土にある阿弥陀如来の宮殿です。下の画像の奥にある建物が宮殿です。平等院鳳凰堂に似ていますよね。

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平等院鳳凰堂の敷地内に平等院ミュージアム鳳翔館という建物があり、当時の人々が考えていた極楽浄土の様子が絵で見ることができます。平等院鳳凰堂に行かれる予定の方はぜひ足を運んでみてください!

 

平等院鳳凰堂の目の前にある池の様子も極楽浄土そっくりです。

 

このことから藤原頼通は、信仰の対象として平等院鳳凰堂を建立しただけではなく、極楽浄土の世を現世のこの地で再現しよう!というさらに大きな目標を持っていたのだと思います。

 

それほどまでに、末法思想が当時の人々に与えた影響は大きかったのです。

 

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 平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像がすごい理由

平等院鳳凰堂は、その建築様式が世界遺産として登録されているだけではなく、本堂に配置されている阿弥陀如来坐像も世界遺産に登録されています。

 

世界遺産が2つなんてすごいですね!

 

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像は何がすごいのでしょうか?

 名仏師、定朝の現存する唯一の仏像

定朝(じょうちょう)は、この当時(1000年頃)随一の仏師であり、当時の最高権力者であった藤原道長の庇護を受けていました。定朝の造る仏像は貴族たちから人気があったのです。

 

定朝の造る仏像の特徴は、次の2つと言われています。

・服の皺(しわ)が平行になっていること

・表情が瞑想的でちょっと眠そうな顔をしていること

 

さて、実物を見てみましょう!

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皺は「ふーん」という感じですが、表情は私のような素人でもその違いがわかります。定朝の造る仏像は、眠そうな顔がとても柔和で優しい印象を受けますが、主に奈良にあるような奈良時代に作られた仏像を見ると目がキリッとしたものが多いです。

 

奈良にも行かれる方はぜひ比べてみてください。

 

多くの仏師たちが、貴族好みの定朝の仏像を真似するようになります。そのため、定朝の仏像は、その後の仏師たちの仏像制作に大きな影響を与えているのです。

 

また、多くの人が真似をしたため、定朝の造った様式という意味の「定朝様」という言葉まで作られるようになりました。

 

この定朝が造った仏像の中で、現在まで唯一残っているのが平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像なのです。

※定朝以外の人が造った「定朝様」の仏像は他にも存在します。

 

みんなが真似するほど憧れの的であった定朝の作品は、もちろん他にもたくさんあったのですが、この阿弥陀如来坐像を除いてすべて戦乱などにより焼失してしまいました。

さらに、平等院鳳凰堂の位置する宇治でも、大きく2つの戦乱に巻き込まれています。平安時代末期の源氏と平氏の戦(源平合戦)や南北朝期の楠木正成と足利尊氏との戦で宇治の地が戦場となりました。

 

特に、南北朝期の戦では、楠正成が平等院に火を放ち、多くの建物が焼失してしまいましたが、奇跡的に本堂だけは焼失せず阿弥陀如来坐像も焼失を免れることができたのです。

 

そのため、世界遺産に登録された阿弥陀如来坐像は奇跡の仏像と言っても過言ではありません。

定朝のもう1つの偉業、寄木造

定朝のすごいところは、仏像の見た目だけではなく制作方法そのものも従来の方法と大きく変えてしまったことです。

 

定朝以前の仏像の作り方は、一木造と言って、1つの木を彫って彫って彫りまくって仏像を制作していくのが主流でした。この造り方は、一度ミスをしたら修正不可のため、制作に当たっては、尋常でない緊張感があったものと思います。

 

さらに、この方法だと、大きい仏像を制作するには巨大な木材が必要となり、木材の調達に困難が伴いました。

 

そんなデメリットをすべて解消してしまう方法が寄木造です。

 

寄木造は、仏像の各部位をそれぞれ別々に造って、後で合体させる手法です。これは、プラモデルの作り方と同じと考えてもらえるとわかりやすいと思います。それぞれ別々に作れるので、分業が可能となったり、小さい木でも仏像を制作できるようになりました。要は寄木造により仏像制作が容易になったのです。

 

当時の人々にとって、この手法は革命的な発想であり、その後の仏像制作に大きな影響を与えました。

 

 

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像も寄木造により造られたものです。

 

寄木造は、定朝以前からあった手法ですが、それを広めたのは定朝です。先ほど説明したように、定朝の仏像は多くの仏師たちの参考とされたのでした。おそらく定朝の意思とは無関係に自然と広がっていったのではないでしょうか。

 

仏像制作に大きな変革をもたらした定朝。その定朝本人が造った唯一現存する仏像が阿弥陀如来坐像なのでした。

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宇治は素晴らしいところ

平等院鳳凰堂の話はこれで終了ですが、ちょっとだけ。

 

宇治はとても素晴らしいところです。

 

街並みは風情があり、宇治川の風景はとても美しいものです。さらに世界遺産である宇治上神社があります。なんと宇治には3つも世界遺産があるんですね!さらにさらに、宇治は源氏物語の舞台としても有名です。見どころたくさんですね。

また、宇治川は源平合戦と南北朝の動乱期の戦の舞台となっています。川の流れがずーっと続くのを見ながら当時の様子を想像するのも感慨深いものがあります。

 

宇治駅から平等院鳳凰堂へ向かう道を歩けば、宇治茶や抹茶がたくさん堪能でき、試飲もたくさんすることができます(私が行ったときは、試飲だけで水分補給ができるほどいろんなお店から勧められました(笑))。

 

京都市からはちょっと離れていますが、行く価値大ありです!!京都観光の際は、ぜひ宇治へも足を延ばしてみてはいかがでしょうか?

 

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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